非常識な図形の世界?
 右の図を見てください。直線l と点Pがあります。点Pを通り,直線l に平行な直線は何本引けるでしょうか。
 1本しかない,というのが,常識的な答えですよね。ところがこの事実,証明するのはとても大変なんです。いや,正確に言うと,証明することは出来ないのです。

 この性質ははるか昔,ユークリッドという人(実は人かどうかは分かりません。そういう名前の宗教団体だった,という説もあります)が書いた「ユークリッド(幾何学)原論」という本の中に登場する「第5公準」と呼ばれる性質です。この本は図形学(幾何学)の,最も古い専門書です。

 この本では,はじめに「点は大きさを持たないものである」「直線とは長さがあって幅がないものである」などのような,言葉の定義をし,次に,証明できないくらい明らかなこととして次の5つを定めました。

  (1)どの点からどの点へも直線を引くことが出来る。
  (2)直線はどこまでものばすことが出来る
  (3)点と半径を決まれば円がをかくことが出来る
  (4)すべての直角は等しい。
  (5)ある点を通り,その点を通らないある直線に平行な直線は1本しかない。

 以上5つを,ユークリッドの公準と呼んでいます。これら公準と,言葉の定義のみを駆使して,三角形の性質やさまざまな定理を次々に証明していくのがこの本,いや,幾何学の原始的,基本的なスタンスです。

 ユークリッド自身は上の「第5公準」を「証明できないくらい明らかなこと」と定めたわけですが,この第5公準,他の4つの公準に比べてかなり内容が具体的だと思いませんか? なんだか証明できそうな気がしてきます。実際,この第5公準は「当たり前」ではないんじゃないか,証明をきちんとすべきではないのか,という議論が起こり,数多くの数学者がその証明に取り組みました。

 しかし,証明できませんでした。

 例えば背理法を利用し,「もし直線が何本も引けたとしたら」,あるいは「1本も引けなかったとしたら」と仮定して,矛盾を導こうとした人もいましたが,まったく矛盾が出てこなかったのです。

 困り果てていた当時の数学者たちの中で,ある人がこんなことを言い出しました。

      「これだけやっても矛盾が出てこないのだから,ひょっとすると平行線が
       何本も引けたり,1本も引けないような世界があるんじゃないか?」


 ものすごく乱暴な意見にも思えますが,実は・・・・・・あるんです。驚くなかれ,その世界とは,例えばこの地球上です。

 図形というと,ついついまっ平らな平面の上で考えがちですが,地球のような球面上で図形問題を考えてみましょう。普通,直線をどこまでも延ばすと宇宙の果てまで飛んで行きますが,地球表面に直線を引いていくと,いつか必ず一周してつながりますよね。ひとつの大きな輪になるのです。赤道や,日本と北極を通るような直線(輪)のように,地球の直径の両端を通る大きな円を「大円」と言いますが,この大円をこの世界での「直線」と考えると,どんな「直線」も必ず交わることになります。(しかも2点で… この解消はちょっと厄介ですが) つまり,平行線はないことになります。

 第5公準を「平行線は一本もない」と変えても,矛盾が出ないどころか,それが成立してしまう世界があるのです。この世界では,三角形の内角の和も180度にはなりません。球体の上にある三角形は,少し外に向かって膨らんでいますよね。だから,内角の和は180度を超えます。

 第5公準を「平行線は無数にある」としても矛盾は出ません。そんな世界があるからです。この世界は少し例に困るんですが,球体のように外に膨らんだ世界ではなくて,内側にへこんだ世界,とでも言っておきましょうか・・・ 双曲面,という面があるのです。この上で直線を引くと,平行線は無数に引けるし,三角形の内角の和は180度未満になります。

第5公準どおりの,いわゆる「常識的な」図形学を「ユークリッド幾何学」,第5公準を否定して出来た「非常識な」図形学を「非ユークリッド幾何学」といいます。特に後者の,地球上での幾何学を「楕円幾何学」,もう一方を「双曲線幾何学」と呼んでいます。

 この幾何学の登場によって,「当たり前の性質」とは何か,「証明とは何か」という議論がより深まって,幾何学に対するさまざまな改善が行われ,現在では実に多種多様の幾何学が存在しています。ユークリッド原論の記述の中には,現在ではいろいろな矛盾点や間違いも指摘されています。しかし,それら全てのきっかけとなったユークリッド原論の価値は大きなものがあり,その基本的な精神は今日でもしっかりと受け継がれているのです。