非常識な図形たち ~非ユークリッド幾何学とは

数学まるかじり

1.常識的だと思っていたことが…

 

どこまで延ばしてもぶつかることのない,まっすぐな2本の直線は,互いに平行であるといいます。長方形の上下の直線とか,鉄道の2本のレールとか,平行な2本の直線は,身の回りにもたくさん見受けられます。

 

ところで,ある直線に平行で,しかも決められた点を通る直線は何本あるかお分かりですか?

 

例えば紙の上に直線を1本引いてください。

 

その直線から少し離れたところに,点を1個とってください。

 

はじめの直線に平行で,しかも今とった点を通るような直線は,何本引けるでしょうか?

 

 

ちょっと考えてくださった方なら,

 

「そんなもの,1本しかないに決まってるじゃないか」

 

と言ってくださることでしょう。流行の頭の体操クイズじゃあるまいし,常識的に考えて,このような直線は1本しかないに決まっています。

 

ところが・・・

 

この「ある直線に平行で,しかも決められた点を通る直線は1本しかない」という常識的なことが,数学ではきちんと証明できないのです。

 

これは古代から現代へとつながる,大きな数学の転換の前触れだったのです。

 

 

 

 

2.幾何学とユークリッドの登場

古来,数学といえば図形に関する問題を解決する学問,すなわち「幾何学」のことを指しました。

 

天文学のように角度や距離を巧みに計算して日数を割り出したり,河川工事や建築のために測量を行ったりすることで,図形を対象にした学問が発達していったのだと考えられています。

 

古代文明時代から,幾何学は土木,測量などに実用的に使われるだけでなく,学問としての追求もなされてきました。

 

どうしてそのような性質が成り立つのか,その定理は数学的にきちんと説明ができることなのか,という「論証」が取り入れられ,言葉の約束や,すでに知られていることを元に,きちんと筋道立てて説明がつくことだけを「数学的な真理」として認めてきたのです。

 

ユークリッドという,この時代の幾何学を代表する人物(団体という説もあり)がいます。彼は人類最古の数学専門書である「原論」を著し,言葉の約束である「定義」と,あまりに当たり前すぎて疑う余地のない性質である「公理」だけを基にして,あらゆる幾何学的な性質をきちんと証明していきました。

 

ユークリッドが「あまりに当たり前すぎる」と考えた「公理(公準)」は,全部で5つあったのですが,その中に最初に紹介した

 

「ある直線に平行で,しかも決められた点を通る直線は1本しかない」(第5公準)

 

 

というものがありました。ユークリッド自身はこの性質は「当たり前だ」と考えていたので,もちろん「原論」のなかでは証明されていません。

 

ところがこの公理,例えば他の「2つの点は結ぶことができる」とか「1点を中心にして円をかくことができる」といった公理に比べると,あまり「当たり前すぎる」という感じがしません。何だか図形的な性質として証明できるような気がしてきます。

 

中世に入ると,この平行線の公理を証明しようとする人物が数多く現れます。「当たり前」ですませるのではなく,きちんと筋道立てて証明するべきだと考える人たちでした。

 

ところが,いくら努力しても証明ができませんでした。

 

彼らは,「もし平行線が何本も引けたとしたら」と仮定して,何か矛盾が起こるのを導き出そうとしました。おかしな仮定から出発して,ヘンテコな結論が出てくれれば,もともとの仮定が間違っているといえるからです。

 

しかし,「平行線が何本も引ける」と仮定していくら頑張ってみても,全く矛盾が起こらなかったのです。それどころか,「平行線は1本も引けない」と仮定しても,全く矛盾が起こりませんでした。

 

 

平行線の公理は,証明できないまま長い頓挫の時代を過ごすことになります。

 

 

 

 

3.発想を転換したら,おかしな世界が見つかった!

 

あるとき,「いくらやっても矛盾が出ないのは,実際に平行線が何本も引けたり,1本も引けないような世界があるからじゃないのかな」という,とんでもない発想が生まれてきます。

 

そんなバカな・・・と誰もが耳を疑いますが,実はあるんです。

 

それは,例えば私たちの住んでいる,この地球です。

 

古代より数学は紙の上で考えるものでした。まっすぐな平面の上で図形を考えていたなら,確かに平行線は1本しか引くことができないでしょう。

 

でも,地球の表面のような,丸い紙の上で図形を考えたとしたら・・・

 

地球が大きな紙だったとして,その表面にどこまでも伸びる直線を書いていくと,地球を1周してはじめの位置とつながりますよね。

 

大きな大きな輪ができるわけです。地球の上では,直線は大きな輪になります。

 

平行とは,「どこまで延ばしても交わらない2本の直線」のことでした。地球の直径の両端を通る大きな円(大円)をこの世界での直線と考えると,例えば赤道という「直線」と平行で,しかも「東京」という点を通る「直線」は何本あるでしょうか。

 

一本もない,というのが正解です。

 

東京を通る直線(大円)は無数にありますが,それらはすべて赤道と交わってしまいます。(しかも2点で。これはちょっと困ったことなんですが,リーマンという数学者はこれをうまく解釈し,クリアしています。)

 

球面上で図形を考えると,平行線は1本も引くことができないのです。

 

 

 

 

3.「非ユークリッド幾何学」が与えた影響

真っ平らな紙の上で考える幾何学(いわゆる,学校で習う図形)は,「ユークリッド幾何学」と呼ばれます。それに対して,丸い球面や,へこんだ面などの上で考える幾何学を「非ユークリッド幾何学」といいます。

 

「非ユークリッド幾何学」は,平行線の公理の証明に失敗したことから生まれた新しい幾何学です。この幾何学の中では,三角形の内角の和が180度より大きくなったり,長方形の4つの角が等しくならなかったりと,紙の上の数学では考えられないような「非常識な」図形がたくさん登場します。

 

実際,私たちが生活するのは紙の上のような平面ではありません。丸い地球の上です。

 

海に長い橋をかけるときは,地球の丸さを計算に入れなければなりません。

 

国の面積を測るとき,その国の形が三角形だとしても,本当は「丸く膨らんだ三角形」だということを計算に入れて測らなければ狂いが生じます。

 

「非ユークリッド幾何学」の発想は,これまでの固定観念を壊してくれただけでなく,より私たちの生活に合った定理,性質を数多く生み出してくれました。

 

その始まりが「証明のできない挫折」であったなんて,なんとも人間らしいじゃありませんか。

コメント

  1. ≪…「非ユークリッド幾何学」…≫は、【臍点】と関連しているとか・・・

    [平行]を【代数的構造】で眺望するのは、円に接する白金長方形とか・・・

     この風景は、絵本「わのくにのひふみよ」で・・・