大きな数と小さな数 ~億・兆・京…/分・厘・毛…

数学まるかじり

1.「兆」ってどれくらいの大きさ?

 

100億円,1兆2千億円,といった大きな数がニュースで連日飛び交いますが,世の中では,特に国や各省庁,特殊法人,公益法人,大企業というものは大きなお金を扱うものですね。皆さんはこの「大きな数」についてどのくらいご存知でしょうか。

小学校では大きな数として一,十,百,千,万,さらに億,兆までを学習します。

「兆」という単位も最近はよく使われますから,あまり珍しくはなくなってきましたが,ほんの数十年前までは日本の国家予算も1兆円に届かない時代がありました。この「兆」とは果たしてどれくらいの大きさなのか,なかなかピンと来ない方も多いと思います。

「1兆」は,1億の1万倍です。

と言われてもよく分かりませんが,アメリカのCNNが分かりやすい例えを示してくれていますので,少し日本人向けにアレンジして紹介しましょう。

1.0が12個つく数

2.1兆円を1万円の新札で積み重ねると高さがおよそ10万キロメートルになる。
3兆円あれば,地球から月まで届く。

3.キリストの誕生から約2000年。毎日100万円ずつ使っていたとしても,まだ
使い切れていない。

4.1万秒は約2時間47分,1億秒は約3年2ヶ月,1兆秒は約3万2千年。
キリストの誕生から今日まで,まだ「たったの」634億秒。

(CNN:How mach is a Trillion ? 2009 より,一部改)

いかがでしょう?

この他にも,例えばその辺に落ちている,細かい砂の1粒の直径を1兆倍すると地球より大きくなる,など,たくさんの興味深い例えが紹介されるなど,「兆」はまさに大きな数の代表選手とも言える存在です。

 

2.億や兆よりも大きな数は?

数の世界は無限ですから,もちろん兆よりも大きな数も存在します。

1兆,10兆,100兆,1000兆・・・・

その次の単位をご存知ですか?

経済分野では最近少しずつ出番が増えてきているそうですが,「京(けい)」という単位があります。

1京,10京,100京,1000京・・・・

では,この次の単位は?

「垓(がい)」

という単位です。

私達の知らないところで,大きな数の単位はひそかに出番を待ち続けています。

 

大きな数の単位は,わが国の江戸時代に記された数学のベストセラーである「塵劫記(吉田光由)」の中で紹介されています。ここに列挙してみましょう。

   万,億,兆,
   京(けい),垓(がい),禾予(←じょ 常用漢字外。のぎへんに予),
   穣(じょう),溝(こう),澗(かん),
   正(せい),載(さい),極(ごく),
   恒河沙(ごうがしゃ),阿僧祇(あそうぎ),
   那由他(なゆた),不可思議(ふかしぎ),
   無量大数(むりょうたいすう)

最後の単位である「無量大数」は,10の68乗になります。(諸説あるようです)

これらの単位はもともとは漢の時代に中国から伝わってきたものといわれ,当時は現在のように1万ごとに単位を変える「万進法」ではありませんでしたので,無量大数が10の68乗とはされていませんでした。

 

「恒河沙」以降は1億ごとに単位を変える「万万進法」であるとされた時期もあるようです。

仏教思想が強く反映された単位であるらしく,特に最後の5つの単位にはそれが強く感じられます。

 

凡字の発音を中国の漢字に直したものが多いようですが,例えば「恒河沙」は「黄河の砂」ということを表し,黄河の砂粒の数くらい多いという意味があるそうです。(実際の黄河の砂粒はこんなに多くありませんが)

また,「阿僧祇劫」という話にも登場する「阿僧祇」という単位は,天女が100年に一度,天から降りてきて長い羽衣の裾で地上の巨大岩を一撫でするエピソードで知られています。

 

巨大岩が羽衣にこすられて磨り減り,消滅するまでにかかる時間を「(阿僧祇)劫」といい,気が遠くなるほどの時間を表しているそうです。(「億劫」という言葉は,今でも使いますね)

これらのエピソードも面白いですが,数学的にはあまり実用的ではなさそうです。

ただ,これらの単位を実際に使うかどうかはともかく,はるか昔にこのような単位の体系が考えられていた,というのは興味深いことです。

 

 

3.小さな数にも単位がある!

ここまで大きな数にばかり注目してきましたが,先ほどの「塵劫記」には小さい数についての記載もあります。

小さい数の単位・・・

何のことかお分かりですか?

 

野球の打率などでおなじみの「何割何分何厘」という言い方がありますね。あれは0.1,0.01,0.001を表す単位です。

現在は0.1のことを「1割」と呼んでいますが,本来は「割」ではなく,「分(ぶ)」を用いていました。ですから,0.1を「分」,0.01を「厘(りん)」と呼んでいたことになります。

それでは,小さな数の単位について,列挙してみましょう。

分,厘,毛(もう),糸(し),忽(こつ),微(び),
   繊(せん),沙(しゃ),塵(じん),埃(あい),
   渺(びょう),漠(ばく),模糊(もこ),逡巡(しゅんじゅん)
   須叟(しゅゆ),瞬息(しゅんそく),弾指(だんし),
   刹那(せつな),六徳(りっとく),虚(きょ),空(くう),
   清(せい),浄(じょう)

別説で,漢字文化圏では虚空,清浄,阿頼耶,阿摩羅,涅槃寂静といった単位を用いることもあるそうですが,これらの小さな単位も中国から伝わったもの。やはり仏教用語の強い影響を受けています。

 

「刹那」や「逡巡」などは現在でも普段の会話などで使う言葉ですね。

これら小さな単位は,大きな単位と違い,10分の1になるごとに単位が切り替わっていきます。ですから,一番最後の「浄」は,10の-24乗ということになります。

 

 

4.数から感じる「人間味」

こうした単位を覚えるのはとても大変ですから,実用度という点では低いのかもしれません。「水素原子の個数が『3恒河沙2870極』個」とか,「ウイルスの大きさが『20塵』メートル」なんていわれても,確かによく分かりませんからね。

しかしこうした単位を見ていると,昔の人は今よりも,もっと身の回りの数とゆっくり,じっくり付き合っていたのかな,という気がします。

私たちは国家予算のように,自分の身の丈に合わない,ピンとこない数字に囲まれて,さもそれをよく理解しているかのように暮らしていますが,「恒河沙」や,「刹那」といった単位には,ピンとこないその数の,もの凄い大きさや小ささを何とか表現しようという,人間味が感じられてなりません。

人間と数との付き合い方。

 

 

無量大数の世界への,果てしない旅へと思いを馳せてみませんか。

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